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一緒にお弁当を食べてね
2012-10-30-Tue  CATEGORY: 家族・泣ける話
 azusa03.jpg

海の学習という名前で学年全体で泊りがけでの研修のあった5年生。
雨女の私が出かけると必ず雨。
今までの遠足も雨が多かったからそんなにがっかりすることもだんだんなくなってた。
ただ海の学習だから海でボートに乗ったりできるのが楽しみだったのに。

本当なら外のお日様の下で食べられるはずだったお弁当。かわいそうに。
せっかくお母さんが作ってくれてみんなで外で気持ちよく楽しくワイワイ食べたかったのになー。
雨だから研修所の宿泊大部屋でみんな自分のお弁当をとりだした。

あれ?包みの中にお母さん、何か入れてる??

「○○ちゃん、楽しみにしていた海の学習の日がきたね。
たくさんのお友達と一緒にお弁当を食べてね」

メモがでてきた。

3人年子の兄弟の真ん中の私。
いつも子育てに仕事に忙しかったお母さんはそれでも家事の手抜きはなかった。
それでも中子の私はあまり母にはかまってもらえてなかった。
それもあまり気にならなかったし。
お母さん大好きだから。

そこにこのメモ。
読みながら涙がブワーっとでてきた。

どんなおかずがはいってたか記憶にない。
自分の涙でしょっぱかったことは覚えてるのに。
そのメモ、お母さんに見られないように20年たった今でも隠してもってる。

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死なないで…
2012-10-30-Tue  CATEGORY: 家族・泣ける話
 musisu1.jpg
父親が死んでしまったのが中学三年生の時で…それから母親は一人で生計をたてていました。

四人姉弟の真ん中三番目の僕は男一人だった事もありかなり手を妬かせていたと思います。
高校生になってバイトをしても家計を助けるわけでもなく…自分のためだけにつかっていました…。

兄弟がそうだったから違和感がなかったといえばそうなのかも知れないけれど 一人で五人家族を養える訳がなかったのです。
毎日 朝から晩まで働いてた やりくりして学費を払せ…必要な物を買ってもらい何不自由なく育てられて…
それが当たり前だとすら感じていました。

高校入りたての頃に一番上の姉ができちゃった婚をし、もう一人の姉が大学に入り一人暮しをし始め…
残るは自分と妹だけになりました。

そんな時、母親は会社の男性となかよくなり…あまり家に帰って来なくなりました。
妹と二人で食卓を囲むことが増えました。

そんなある日会社で大きなリストラがあり母親もその中の一人になっていました。
一気に生活は苦しくなりました。
母親は出稼ぎにいくと僕らの暮らす街から離れ遠くで働きはじめました。
いつからか家族がバラバラになっていて…それが当たり前になっていました。

高校を卒業して就職をして半年…ぐらい経った時でした。
未だに僕は妹を抱えながら生活費を母親に貰いながら生活していました。
とても新卒の人間の給料では生活が出来なかったからというのもありますが甘えだったのだと今は思います。

会社に電話がはいりました…
母親が倒れたと…
意識不明だと…

夜だったためすぐに向かうことは出来ず翌日むかう事になり会社を暫く休む事にしました。

脳梗塞…くもまっか出血を併発…病院で手術しても助からないかもしれないと言われました。

白い壁の病院が寂しい世界に思えました。
久しぶりに会った母親は意識がなく話しかけても返事がないのだから…。
手術をしたあと病室で母親が意識を取り戻し僕等にむかいこう言いました。

《大丈夫だよ 転んだ訳じゃないから…》

それが最後の言葉でした。

それから容態は急変し翌日医者から告げられたのは植物状態で延命させるかという質問でした…。
姿はそこにあるのに…もう命はないのだと…目を開けないんだと…親を殺してしまいました…

機械を止めてもらいました。
今までごめんなさい…。



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言葉にする勇気
2012-10-30-Tue  CATEGORY: 家族・泣ける話
 asamaf1.jpg


今就職活動中で実家に帰れないんだけど、うちのじいちゃんが突然倒れて入院した。

ばあちゃんは雪かきして転んで脚を骨折してそのまま病院暮らしだ。

雪かきくらい手伝いたかったけど、家が離れていることもあって、祖母もこれくらいの雪なら大丈夫と思ったんだろう。
もう5年も入院暮らししてる。

俺の家は転勤族で、中学三年生までは祖母の町からはずっと離れて生活してた。
小さい頃は分け隔て無く話せたんだけど、もの心ついてくるとなんとなく話すときは親しく話せなかった。
そんなこんなで、今は祖母、祖父は入院ということになった。

祖父は1年前くらいは元気で医者にも100歳まで生きるだろう、なんて言われてたんだけど、夏にバスを待っているときに突然倒れてそのまま検査ってことになった。
診断結果はガンだった。
かなり進行していて、余命もあと2年生きられるかどうかだとも言われた。

だから入院はしないでそのまま実家で静かに最後を迎えることにしてたんだけど、また病状が悪化して、入院生活を送ることになった。

脳にも転移して記憶が、あいまいになってきている。
俺は母親と弟と見舞いに行った。祖父の状態は良好で、血色もよかった母親が祖父に話しかけている。

母にとって祖父母は父方の両親なんだけど、よく看護をしてくれてる。
そんな母親を俺は誇りに思ってる。
母親がいつも祖父母に話しかけていて、俺は黙って見守っていることしかできなかった。

本当は大丈夫?とか、がんばって!と話しかけてあげたかった。
母親がてきぱきとなんでもこなしてしまうから俺の役目は余り無いのかもしれないとも少しではあるが、感じていたのかもしれない。
でもこの見舞いをしたら後、就職が落ち着くまでこの祖父母がいる町に帰って来れないかもしれない。
そう考えたら、とても不安とか焦燥とか寂しさとかが沸いてきて、泣きそうになった。何か話しかけてあげなきゃなと思って
「おじいちゃん、がんばってね」と声を掛けてあげて、おじいちゃんが微笑んでうなずいたときは、とても温かい気持ちになれた。

就職を早く決めて、はやく会いにいってあげたいと思うよ。
あとちゃんと言葉にしたいと思う。



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ばあちゃんごめん
2012-10-30-Tue  CATEGORY: 家族・泣ける話
 hakobe2.jpg
初めて投稿させていただきます。
このサイトのお話しを読んで、どうしても気持ちを綴りたくなったので、読んでいただければ嬉しいです。

私はばあちゃんが大嫌いでした。
正直、可愛がってもらった記憶もないし、すぐ近所に住んでいるのにすれ違ってもお互い無視する程でした。
たまに家にきても挨拶も話しもしない、ずっとまともに会話した事もありませんでした。

たまに皮肉を言いたげな目で私を見るばあちゃんを、私は
「早くくたばってしまえ」
とまで、思っていました。

でもある日から、ばあちゃんは具合を悪くし入院しました。それからは病台もどんどん悪化し、痴呆も患い、なのに私は一度もお見舞いに行きませんでした。

しかしある晩の事です。
布団の中でなかなか寝付けないでいると、無性に悲しくなってきました。
涙がどんどん溢れ、ばあちゃん死なないでよって、今までの私からは想像できない思いでいっぱいになりました。
胸騒ぎが取れなくて、一刻も早くばあちゃんに会いたくなった。

それからやっと少し寝付け、朝方目を覚ますと親から電話があり、
「ばあちゃん亡くなったよ」
と、告げられました。
でもその時は、昨晩の事が嘘の様に泣けませんでした。
葬儀の日も、ずっと泣けませんでした。

それから数日たって、母親がポツリと言ったのです。

「ばあちゃんね、あんたの事心配しとったよ。あんたが高校卒業してちゃんと仕事あるかとか、ここの病院で働けるように頼んでみるとか…。
痴呆で何もわからんのにね、あんたの事ずっと心配しとったよ」

私はそれを聞いて、部屋で独り泣きました。大きな声をあげて、ずっと泣きじゃくりました。


ばあちゃん、ごめん
私、ばあちゃんに嫌われてる思ってたから、ばあちゃんが嫌いやったんよ
本当はばあちゃんに好きになってほしかったんよ
なんに、変な意地張ってごめん

ばあちゃんと、ちゃんと話したかった
誕生日にプレゼントあげたかった
お見舞い、一度でもいいから行けばよかった

ばあちゃんに自分の声で、
「ありがとう」
言いたかったよ

ごめん、ばあちゃん
嫌いでもいいから、今隣に居てほしかった

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消防士の親父
2012-10-30-Tue  CATEGORY: 家族・泣ける話
 asaza01.jpg
オレの親父は、消防士だった。
いつなにがあってもおかしくない仕事だから、よく母に
「オレに何かあっても、お前らが苦労しないようにはしてる」
ってそう言っていたのを覚えている。

親父はとてもあつい人間で、「情熱」って言葉が大好きだった。

口数の少ない親父が、久しぶりにオレたち息子に口を開いたかと思うと、「情熱だけは持ち続けろ」って「何かに本気になってみろ」ってそればっかりだった。

あの日、緊急要請が入って夜中の2時頃、親父は火事現場に向かっていった。
物音に起きて、部屋のドアを開けて見た親父の背中が、オレが親父を見る最後の機会になった。

親父は、火事で倒壊してきた建物の下敷きになって、病院に運ばれたものの、死んだ。

朝、母からそれを聞いた時、信じられなかった。
いつもみたいに、疲れた顔して帰ってきて、「母さんビール」なんて言う、そう思えて仕方なかった。

でも、灰だらけになって眠る親父の顔を見て、一生目覚めないその顔を見て、それが現実だとわかった。
悲しくて、涙が止まらなかった。

でも、同時に誇らしかった。
親父は灰だらけでボロボロで、もう目覚めなかったけれど、あの日の火事では、全員救出できたそうだった。
最後まで、「人を助けるっていう情熱」を失わなかった。

他人から見ればただの一介の消防士にすぎないだろうけど、オレにとっては、最後まで最高にかっこいい親父だった。
そんな親父の最後が誇らしくて、何故かさらに涙が溢れた。

あれから12年、オレは親父と同じ仕事に就いている。
何年も働いているが、今でも現場に向かう時は、怖い。
それでも、向かうことが出来るのは、オレがこの仕事に「情熱」を持っているからだ。
あの時、最後まで親父が持っていたように。

ありがとう、親父。
あんたの背中を見ていたから今、火の海に飛び込んでいける。
怖くても足を踏み出していける。
本当に、ありがとう。

誰一人死なせはしない。

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