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先生のお別れ会
2012-10-23-Tue  CATEGORY: 友情・泣ける話
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小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。

彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。

N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした

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友達の大切さ
2012-10-20-Sat  CATEGORY: 友情・泣ける話
 幼稚園の頃から、仲が良かった親友が居た。
いつも、俺たちは4人で遊んでた。
どんな時も、一緒に遊んでた。
彼女についての相談をしたり馬鹿言ったり、喧嘩したり。
でも、そんな事やりあってるうちに俺たちの絆は更に深まっていった。

ある日、いつものメンバーで遊んでる時、ゆうき(仮名)の具合が悪そうだった。
そいつは元気だけがとりえだったのに、その日だけは具合が悪かった。
日がたつたびにゆうきの具合が悪そうだった。
俺たちは心配になって体調を聴いたが
『大丈夫。なんてことないよ』
と、言っていた。

数日後ゆうきは学校を休むようになって、病院で入院していることを親に聴いた。
親からゆうきが難病に掛かっている事、そして治らない事、もう直ぐ天国に行くかもしれない事。
全部聴いた。俺たちは言葉が出なかった・・・。

俺たちはいつもより1人少ない、3人で御見舞いに行った。
プレゼントを持って。逢って元気付けてあげて又、一緒に遊ぶんだって俺は思った。

病室に入ってゆうきを見たら、全身チューブだらけでちゃんと顔を見る事ができなかった。

俺たちは『絶対良くなるよ』って言ったらゆうきは『まだ死にたくない』って言われた。
面会時間が短かったからプレゼントを渡して病室から出た。

病室から出た後、俺たちの涙は止まらなかった。
まだ、死んでる訳じゃないのに凄く悔しかった。
何で俺たちの親友がこんなに苦しまなきゃいけないんだと思った。
俺たちは何も出来なくて、ただ涙を流す事しか出来なかった。

そして俺たちは毎日の様に御見舞いに行った。
俺は親から貰ってる少ないお小遣いを貯めてゆうきの為にプレゼントを買って病院に行った。

いつもの病室だから迷う事なく真っ直ぐ進んで病室に入るとゆうきの姿は無かった。
部屋の中の状態はいつものままなのにゆうきだけが居なかった。
頭の中が真っ白になって何が起きたのか判らなかった。

部屋の前でプレゼントを持って立っていると後ろからゆうきの母親が来て俺に言った
『本当についさっき息が止まって・・来てくれてありがとう』
って涙を我慢しながら俺に言った。
プレゼントはゆうきの母親に渡して俺は病院を出た。

その後、俺たちは3人だけで遊ぶようになった。
俺たちの仲間が居なくなって初めて気が付いた。
友達の大切さを。

今迄本当にありがとう。
絶対忘れないよ・・・
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メロンのカップ
2012-10-20-Sat  CATEGORY: 友情・泣ける話
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小学校6年くらいの時の事親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。
その時まで実の両親だと思っていたので心底衝撃を受けた。

帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、公園のブランコに座って立てなくなった私に、親友はずっと付き添っていてくれ、「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」とか言って、カバンからメロンのアイスの容器(メロンの形のやつ)を出して、水道の水をくんで飲んだ。

一体何のテレビを見たのか、「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」なんてメロンのカップ片手に言う親友がおかしくて、思わず泣きながら笑いあった。

十数年たって私が結婚する事になり、結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、あの時もらったメロンのカップをカバンにこっそり忍ばせて飲んでたら、突然親友がポロポロ泣き出して「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」と。
『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと悔やんでいたと泣いた。
そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、あなたがいてくれたからやってこれたんだと伝えたかったのに、ダーダー涙流しながらダミ声でドラえもんのように「ごれ゛ぇ〜」とメロンのカップを出すしかできなかった。
親友もダーダー涙流しながら「あ゛〜ぞれ゛ぇ!」と言って、お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。もちろんメロンのカップで。

もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した

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キラキラシール
2012-10-20-Sat  CATEGORY: 友情・泣ける話
俺はガムラツイストを全部持ってる。 状態も万全でコンプしてる。


そんな俺のガムラコレクションだが、中に1枚だけ裏の台紙に 「●●君(←俺の名前)へ あのとき本当にありがとう 元気でね」 と書かれたシールがある。


それはラーメンばあ7弾の「勇者の碑」。 あれは小学校高学年の頃だった。暑い日だったので夏だったのだろう。 俺を含む少年5人は全員、町の駄菓子屋でラーメンばあを買った。



するとグループの中では気の弱いTが買ったラーメンばあから、「勇者の碑」が出た。 キラキラシールだ。 少年たちは全員でそのシールに見入った。


少年時代の幸せなひとときである。


ところが、しばらくすると突然、グループ内のいじめっ子的存在であるKがこう言った。


「おいT!お前のその勇者の碑と俺のベン闘ベン交換しろ!」 ビクつき、涙目になるT。さらに詰め寄るK。 俺は迷ったが、勇気を出してKを止めることにした。


「Kちゃん、Kちゃんには俺のラーメンばあさんやるよ。 前に欲しがってただろ。だからTのそれは勘弁してやって。」 しぶしぶ納得するK。


Tはビクつきながら勇者の碑を持って逃げ帰るようにして家に帰っていった。 その後、しばらくして俺は転校することになった。

お別れ会が終わって一人で帰宅する俺。 そんな俺を後ろから凄い勢いで走って追いかけてくる奴がいた。 Tだ。Tは俺に追いつくや、こう言った。 「あのときありがとう。これ。」 手には「勇者の碑」。


「これ●●君にあげるから!」 そう言ってTは、とまどう俺の手に無理矢理シールを握らせ走り去っていった。 あれから20年、風のたよりによるとTは交通事故でハタチ前に死んだらしい。 でも、Tからもらった「勇者の碑」は俺のファイルの中で生き続けている。
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